あなたのしもべを豊かにあしらい、私を生かし、私があなたのことばを守るようにしてください。18私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。19私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。20私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。21あなたは、あなたの仰せから迷い出る高ぶる者、のろわれるべき者をお叱りになります。どうか、私から、そしりとさげすみとを取り去ってください。わたしはあなたのさとしを守っているからです。たとい君主たちが座して、私に敵対して語り合ってもあなたのしもべはあなたのおきてに思いを潜めます。24まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。1

私たちの魂の軌道に並行して走る線路

1998年を迎えるに当たり、神の私たちに対するみむねは、私たちが聖さと愛、宣教と御国に向けて二つの線路に乗ることです。この鉄道の二つの線路は神のみ座のみ前にささげる祈りと、神のみことばを深く思うことです。皆さんの中には「[教会]基本理念」の小冊子の2ページにある、「霊的原動力」を思い起こす方もいるでしょう。こう書かれてあります。

私たちは神に加わり、神が神であられることのすべてを宝とし、主が愛されるものすべてを愛し、主のみ旨であることすべてを祈り、主のみことばのすべてを深く思い、主のみ恵みのすべてによって支えられることによって、私たちの主イエス・キリストを通し、聖霊のみ力において、神の栄光の主権をかかげる。

神のみ座のみ前で祈ることと、神のみことばを深く思うことは、聖さへとみ国へと向かう私たちの魂の列車が走り続けることができる、並行して走る線路のようなものです。年始にあたり、私たちは祈りと聖書を深く思うことに対する熱意を新たにする必要があります。再復興と刷新と回復がなければ、すべては古び、すたれ、弱ります。ということで、毎年祈祷週間に、祈りとみことばに対する私たちの情熱を再燃焼するため、私たちはこれらの素晴らしく尊い事がらに心を留めます。

詩篇119:18から学ぶ3つの事がら

今年は祈祷週間をはさんで、詩篇119:18から二つのメッセージが生まれました。「わたしの目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」この節は祈りとみことばが組み合わさっており、どのようにそれがなっているのか、私たちは見なければなりません。そうすれば私たちの日常生活と教会にそのように[祈りとみことばを]組み合わせることができるからです。この節から3つの事を学ぶことができます。

  • 一つ目は神のみことばには素晴らしいことがある、ということです。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」この「みおしえ」という言葉は「トーラー」であり、この詩篇では「諭し」あるいは「教え」を意味します。神の私たちに対するみおしえには素晴らしいことがあります。事実、それらは真に理解するとき、私たちをすっかり変えてしまい、聖さと愛と宣教の重荷を与えてくれるほど素晴らしいものです(2コリント3:18)。それゆえ神のみことばを読み、知り、深く思い、暗唱することは、とても重要なのです。

  • 二つ目にこの節から私たちが学ぶことは、神の超自然の助けなしには、誰もこれらの素晴らしい事がらが実際に何であるかを理解することはできない、ということです。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」もし神が私の目を開いてくださらなかったら、私たちはみことばが奇しいのを見ることはありません。私たちは生まれながらにして、霊的素晴らしさを見ることはできません。神のみ助けなしに聖書を読むとき、み教えや聖書の出来事のうちにある神の栄光は、盲目の人の顔に照らす太陽のようなものです。表向きの意味を理解できないというわけではなく、あなたの心をとりこにしてしまうような奇しさ、美しさ、栄光を見ることができないのです。

  • それが次の3つ目にこの節から私たちが学ぶことにつながりますが、すなわち聖書を読むとき、私たちは神に超自然の啓示を祈らなければなりません。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」神のみ恵みの啓示なしには、自分では聖書の教えと出来事のうちにある神の霊的美しさと奇しさを見ることができないので、それをくださいと私たちは祈るべきなのです。「目を開いてください。」

3つのステップの真理

来週神のみことばにある奇しいことがらと、どのようにしたらそれを私たちの頭と心にたくわえることができるのかに注目しようと予定していますが、今日は祈りに注目します。この核心を突く、3つのステップの真理に注目してください。みことばは、み国へと導かれ、またこの地上で力と意義を持つ、神方向の人生を歩むのにとても重要です。神の超自然の助けなしには、私たちはみことばが実際に何であるかさえも見ることができません。ですので私たちは神がどんなことをしてでもみことばの奇しさを私たちの心と人生にたくわえさせてくださるよう、毎日祈る人々でなければなりません。

この3つのステップを一つ一つ見ていき、それらが聖書の様々な箇所で確認できることを見ていきましょう。

1. みことばは聖い生活にとても重要である

第一番目のポイントは、私たちのうちでみことばを見ること、知ること、たくわえることは、神のご計画のために、聖く、愛があり、力のある生活を送るのにとても重要である、ということです。

11節にもどってください。「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」どのようにして私たちは人生で罪を避けることができるでしょうか?神のみことばを心にたくわえることによって、です。何と多くの人々が、神のみことばを深く思うことなく、愛さず、暗唱しないことで、人生を台無しにしてしまうことでしょうか!聖くなりたいですか?つまり、罪を克服し、徹底的な敬虔と犠牲の愛、キリストゆえの徹底した献身の生活を送る力が欲しいですか?ならば軌道修正してください。神は聖さと力の道を備えてくださっています。それは心に聖書をたくわえる方法です。

年配の方々にもお子さんのいる親たちにも言います。みことばにある神の戒めと警告と約束を深く思い、覚え、大切にしてください。特に年をとってからは、それは簡単なことではありません。でもやりがいのある事がらのほとんどは、簡単ではありません。上質の家具を作ること、いい詩を書くこと、素晴らしい音楽作品を作ること、祝いのための特別な料理を作ることーこれらすべては簡単ではありません。でもやりがいのあることです。いい人生を切り開くことは価値のあることではありませんか?

タリタは現在2歳です。心で聖書箇所を学び始めています。また祈りのことばも覚え始めています。なぜでしょうか?なぜわざわざ時間と労力をかけて聖書を何度も彼女に言い聞かせているのでしょうか?単純です。彼女が10代になったとき、敬虔で清く、また聖く愛あり、謙遜で優しく、従順で賢い子になって欲しいからです。そして聖書は極めて明白に、それは神のみことばを心にたくわえることから来る、と言います。「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」

イエス様はヨハネ17:17の私たちのために祈られたその祈りの中でこのように言われます。「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」「聖め別ける」というのは人を聖く、敬虔で、愛あり、清く、貞淑で、霊的に賢くするという、聖書的表現です。そして私は自分自身と私の子供たちと皆さんに、それを望みます。それでは今年は私たちは何をしましょうか?もし私たちが真理によって聖め別たれ、そして神のみことばが真理であるなら、私たちは何をしなければならないでしょうか?

もし医者が、「あなたは深刻な病に侵されていて、死に至る可能性がありますが、もしこの薬を飲んだら良くなり生き延びるでしょう。」と言ったとします。あなたは忙しいし、錠剤は大きくて飲みにくいし、忘れっぽいため、薬を飲むことを忘れてしまい、病に侵され続け、死ぬかもしれません。それが罪と霊的未熟さの行く末です。神があなたを聖別され、あなたを成長させられ、強く、聖くされるということを無視するなら、あなたは成熟しないし、強くも聖くもなりません。神のみことばを読み、深く思い、暗唱し、大切にすることが、罪を克服し、強く、敬虔で成熟し、愛のある賢い人になるという、神の定められた方法なのです。

神のみことばには、もしあなたが見て大切にするなら、あなたを深く変える、素晴らしい事がらがあります。

2. 神のみ助けなしには私たちは見ることができない

この聖書箇所の第2のポイントは、みことばのうちにある素晴らしい事がらは、神の超自然の助けなしには、私たちは実際にそれらが何であるかを見ることができない、ということです。

それは私たちが堕落し、腐敗し、罪に死んでおり、そのため盲目で、無知で、かたくなだからです。パウロはエペソ4:18で私たちの事を次のように表現しています。「その知性において暗くなり、[私たちの]うちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。」

モーセはこの問題を申命記29:2-4で次のように記しています。「モーセは、イスラエルのすべてを呼び寄せて言った、『あなたがたは、エジプトの地で、…主があなたがたの目の前でなさった事を、ことごとく見た。…それは大きなしるしと不思議[「奇しい事がら」]であった。しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。』」注意:あなたがたは…ことごとく見た。しかし神の超自然のみわざなしには、あなたは見ることができない。

これが私たちの状態です。私たちは神の覚醒、活性化、軟化、へりくだり、清め、教え導くみわざがない限り、罪あるもので、腐敗しており、かたくなで、無知で、盲目です。神の啓示がない限り、霊的現実の美しさを見ることはありません。神が心の目を開いて、霊的感覚をお与えくださらない限り、みことばが教えるものの奇しさと栄光を見ることはありません。

これを教えることとこれを知ることのポイントは、聖書を読むことによって私たちが神を必死に求め、神に飢え渇くようになり、神に助けを懇願し叫び求めるようになることです。

(ポイント2に関して、マタイ16:17と11:4、ルカ24:45、1コリント2:14-16、ヨハネ3:6-8、ローマ8:5-8も参照ください)。

3. 私たちは神に見させてくださいと祈る必要がある

それが最後の要点につながります。もし神のみことばの真理を知ることとたくわえることが、聖さと愛と成熟と天国行きに重要であるのなら、そしてもし私たちが生まれながらに神のみことばの奇しさを見ることができず、その栄光に魅了されないのなら、私たちは絶望的な状態にあり、神に見させてくださいと祈る必要があります。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえうのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」

言い換えるなら、クリスチャン生活にとって祈りは欠くことのできないものです。それは祈りがみことばが私たちのうちに働くその力を解く鍵だからです。みことばの栄光は、神がその栄光に対する私たちの目を開いて下さらない限り、盲目の人の顔に照る太陽のようなものです。そしてその栄光を見ないなら、私たちは変えられません(2コリント3:18、ヨハネ17:17)し、もし変えられないのなら、私たちはクリスチャンではありません。

エペソ1:18でパウロは次のように祈ります。「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか…」言い換えるなら、「これらのことを私はあなたがたに教えたし、あなたがたもそれをうわべだけの感覚で受け入れましたが、その栄光を霊的感覚(「心の目」)で理解しない限り、あなたがたは変えられませんよ」(エペソ3:14-19、コロサイ1:9参照)。パウロはこれをクリスチャンたちに宛てて書いているのですが、私たちは霊的目が開かれるよう、み国へ行くまで祈り続けなければならないことを示しています。

聖書通読に浸からせる7種の祈り

しかし詩篇119:18、「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」というのが私たちの今日の聖書箇所ですので、神のみことばを読むにあたってどのように祈るのかを、この詩篇の作者に見せてもらいましょう。では詩篇119篇のちょっとしたツアーにお連れし、今年の聖書通読に皆さんをどっぷり浸からせる、7種の祈りをお見せしましょう。

私たちはこのように祈るべきです…

  1. 神がご自身のみことばをお教え下さるように。詩篇119:12の後半、「あなたのおきてを私に教えてください。」(33、64後半、66、68後半、135節も参照)。神のことばの真の学びは、神ご自身が教師となってあらゆる教授法をもって教えてくださることによって、またそれを通してのみ、実現します。
  2. 神がご自身のみことばを私たちから隠されないように。詩篇119:19の後半、「あなたの仰せを私に隠さないでください。」聖書は神のことばが私たちから取り去られる、恐ろしい罰、あるいは裁きを警告します(アモス8:11)(43節も参照)。
  3. 神がご自身のみことばを私たちに理解させて下さるように。詩篇119:27、「あなたの戒めの道を私に悟らせてください。」(34、73後半、144後半、169篇も参照)。ここでは神がいかなる方法を用いてでも私たちがみことばを理解することができるよう、私たちを理解させてくださるよう懇願します。
  4. 神がご自身のみことばに私たちの心を傾けさせて下さるように。詩篇119:36、「私の心をあなたのさとしに傾けさせ、不正な利得に傾かないようにしてください。」私たちにとっての最大の問題は、そもそも私たちの動機ではありません、私たちの意志なのです。私たちは生まれながらにしてみことばを読み、思い、暗唱することに傾かないのです。ですので神が私たちの意志を傾けさせて下さるよう、祈らなければなりません。
  5. 私たちが主のみことばを守るよう、神が私たちにいのちをお与え下さるように。詩篇119:88、「あなたの恵みによって、私を生かしてください。私はあなたの御口のさとしを守ります。」私たちがみことばにどっぷり浸り従うためには、いのちとエネルギーが必要であることを、主は十分にご存知です。そこで作者は神に、基本的必要を仰いでいるのです。(154節後半も参照)。
  6. 神がご自身のみことばによって私たちの歩みを確かにして下さるように。詩篇119:133、「あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、…」私たちは理解といのちだけを主に依存しているのではなく、みことばの実行をも主に依存しているのです。みことばが私たちの人生に確かなものとなるようにと。自分ではそれを成し遂げることはできません。
  7. 私たちがみことばから迷い出るとき、神が私たちを捜し求めて下さるように。詩篇119:176、「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。」注目すべきはこの敬虔な作者が、罪の告白と、神が彼を捜し求め連れ戻す必要のあるものであることで詩篇を終わらせていることです。これもまた、私たちは何度も繰り返して祈らなければなりません。

みことば、私たちの宝

終わりに、この1998年を迎えるにあたり、聖く愛あるものとなりたいと、またこの都市と諸国民のうちにある神のみむねに徹底的に捧げていきたいと願うにあたり、私たちはみことばを心にたくわえる人々になるよう、またそれ以上に、神から離れては私たちは絶望的状態であることを理解し、主は私たちの目が開かれみことばの奇しきことを見て変えられるような祈りを備えてくださっていることを、知っている人々にならなければなりません。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」

このような祈りで、彼[詩篇の作者]はどれだけ真剣だったでしょうか?私たちはどれだけ真剣になるべきでしょうか?その答えの一つが詩篇119:147にあります。「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。」彼は早起きするのです!最優先です。あなたはそれを[最優先]しますか?


1 新改訳聖書、日本聖書刊行会出版、1970年版引用。以下脚注がない限り同訳引用。

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